神戸製鋼所加古川製鉄所工程部工程課厚板係 安倍晋三さん 昭和55年 写真右端 pic.twitter.com/UZhaVwTToH
— 六衛府 (@yukin_done) 2022年9月24日
安倍元首相死亡 42年前に神鋼加古川で勤務 市長や市民ら悲憤「信じられない」|東播|神戸新聞NEXT https://t.co/nOJyDeNQu4
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2022/7/9
奈良市で参院選の応援演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相は、1980年5月から9カ月間、神戸製鋼所加古川製鉄所(兵庫県加古川市金沢町)に勤務し、同市平岡町二俣の寮で生活していた。2007年には古巣の同製鉄所を訪ねるなど、サラリーマン時代のスタート地点だった加古川市には、特別な思いを抱いていたという。岡田康裕市長や市民らからも、その死を悼む声が相次いだ。
安倍氏は工程部工程課に所属。厚板係として現場との生産調整などを担った。首相時代の07年3月には、同製鉄所を視察。所員らを前に、「工程課厚板係の安倍晋三です」とユーモアを交えてあいさつした。作業着姿で古巣の厚板工場の生産工程を見学した際は、かつての同僚女性から「お帰りなさい」と花束を手渡され、「ただいま」と笑顔で答えた。
生活の拠点は同市平岡町二俣の寮。押し入れ付き6畳間で暮らした。トイレや風呂は共用だったという。06年9月に党総裁に選ばれた際、当時の男性寮長や同僚は神戸新聞の取材に「政治家の子息であることを表に出さなかったので、気付かなかった人も多いのでは」と話した。
加古川市の岡田市長は15年、地場産業の靴下をPRするため関係者とともに当時首相だった安倍氏を表敬訪問した。安倍氏が亡くなったことを受け、「いまだに信じられないような感覚。暴力行為に屈することなく、山積する課題や国民の幸せのために政治は前進し続けなければならない」とコメントした。
前稲美町長の古谷博氏は18年の園遊会で安倍氏から「稲美町はよく知っている。(神鋼勤務時代には)出身者とも一緒に仕事をした」と声をかけられたという。古谷氏は「温和な人だった。言論の場でこんなことが起きるのはあってはならない」と悔やんだ。
加古川駅周辺の市民からも、悲憤の声が上がった。同市に住む男性(63)は「安倍さんは優秀で、世界に通じる人だった。加古川に勤めていたのも聞いていて、親しみを持てた。これでは民主主義の崩壊だ」と話した。
(増井哲夫、門田晋一、千葉翔大)
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同僚とも仲良さそう💕 そういうお人柄なんですよね。しかもイケメン。
— 和気猫 (@heqimao) 2022年9月24日
左のお二人は「おい安倍」と呼べた同僚になるわけで一生の語り草になりそうですね(^_^;)
— 六衛府 (@yukin_done) 2022年9月24日
お隣の同僚さんと腕組んで
— Nao🌸 (@wK5zeUGJmjpLr2h) 2022年9月24日
良い写真😭