朝日新聞AERAの勇気ある記事に敬意。
— 新メレディス 無知性主義 (@jmeredith1965) 2022年1月20日
シルクロードをジェノサイドロードにしてはいけない!
この国のリベラルを信じたい#北京五輪ボイコット
中国政府がタブー視する「ウイグル問題」を追った写真家・川嶋久人がとらえた“弾圧の現実”〈dot.〉(AERA dot.)#Yahooニュースhttps://t.co/zy4GIy1RA2
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2022.1.20
写真家・川嶋久人さんの作品展「失われたウイグル」が1月21日から東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで開催される(大阪は2月4日から)。川嶋さんに聞いた。
川嶋さんは昨年末、中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区の民族問題に追った作品で名取洋之助写真賞を受賞した。今回はその受賞作品展。
10年以上前から同自治区に暮らすウイグル族の人々を撮り続けてきた川嶋さん。作品には4年前に激変した街の様子が鮮明に写り、言葉に詰まった。さらに川嶋さんは、取材中に繰り返された警察の取り調べや当局の尾行について生々しく語った。それが、作品に写る人々の息苦しい暮らしぶりと重なり、ぞっとした。
■「ペンより写真のほうがいいんじゃないか」
川嶋さんは1986年、千葉県生まれ。早稲田大学時代から中国への強い興味があり、頻繁に湖南省など訪れ、中国の大学生らとともにハンセン病回復者の支援を行っていた。
新疆ウイグル自治区を訪れるようになったきっかけを聞くと、2009年にこの地で起きたウイグル族の学生らと治安部隊との衝突という。
「それをニュースで見て、すごく興味を持ったんです。大学も夏休み中で、暇だったから、現地に行ってみた」と、最初は軽い気持ちだったことを打ち明ける。
さらに、「イスラム教にも関心があった」。中国で多数派の漢民族とは異なり、ウイグル族の多くはイスラム教を信仰している。
「帰国後、撮影した写真を大学の友人に見せたら、『川嶋はペンより写真のほうがいいんじゃないか』と言われたんです。ぼくはもともと、新聞記者を目指していたんですけれど、その言葉で、写真をやるって、決めました」
12年、早稲田大学を卒業すると同時に、新疆ウイグル自治区のウルムチにある新疆大学に留学。さらに14年からは日本写真芸術専門学校で本格的に写真を学んだ。
「専門学校に入ったころから撮影のテーマがはっきりと見えてきました」
しかし、意外なことに、それは「政治的な問題ではなかった」と言う。
「伝統文化に生きるウイグル族の日々の暮らしを撮ること。客人をすごく大切にもてなすシルクロードの文化にめちゃくちゃ惹かれちゃって」と、川嶋さんは顔をほころばせる。
■愛するシルクロードの街が激変
川嶋さんはインタビュー中、タクラマカン砂漠の周囲に点在するオアシスの街で人情味あふれるウイグル族の人々にもてなされた、よき時代の記憶を繰り返し語った。
「最初、道端を歩いていたら、おじさんから、『どこから来たんだ?』と、声をかけられたんです。『日本から来ました』と、答えると、『じゃあ、家に来なさい』と、招かれた」
砂漠の強烈な日差しと大きな寒暖差。厳しい自然環境に生きるウイグル族の伝統的な家屋は、外壁に泥が厚く塗られ、丸みを帯びた独特の形をしている。
「でも、家の中に入ると、じゅうたんが敷かれて、すごくきれいなんです。そこにぼくみたいな見ず知らずの人間を招いて、ナンやチャイ、果物でもてなしてくれた。言葉には少し不自由を感じたんですけれど、家族や仕事の話をして、すごく楽しかった」
そんな素朴な人々の魅力に引かれた川嶋さんは09年以降、ほぼ毎年のように同自治区を訪れ、住民の暮らしを丹念に撮影してきた。それだけに、18年に目にしたあまりの変化にがくぜんとし、憤りを感じたという。
「もう、まったく状況が変わっていたんです。どこに行っても、警察官、監視カメラ、検問所の数が劇的に増えていた。人々の顔からは笑顔がなくなっていた。その背景にあるものは何かと言えば、当局の監視ですよ。イスラム教を信仰する彼らをテロリスト予備軍と見なして、何もできないようにしていた。もう、この政治的現状を撮るしかないな、と思いました」
川嶋さんは状況が大きく変化した理由について、「16年8月に新疆ウイグル自治区のトップが、陳全国という人に変わったんです」と、説明する。
「彼の前任地はチベット自治区で、チベット民族の弾圧で辣腕(らつわん)をふるった人なんです」
■住民が恐れる強制収容所
17年4月、新疆ウイグル自治区で「脱過激化条例」が施行されると、ひげをのばしたり、顔全体を覆うブルカを着用したりすることが禁じられた。
「以前はイスラム教のお祈りの時間になると、道端に車を止めて、礼拝している人を見かけたんですけれど、もう、決められた場所でしか礼拝はできません。スカーフを頭の部分に巻くのは禁止されてはいないんですが、みんな当局に目をつけられるのを恐れて、ふつうのスカーフでさえ身につけていない」
ウイグル族の住民が最も恐れているのは、強制収容所に送られることだという。中国政府はあくまでも職業訓練を目的とした施設としているが、収容の強制性や施設内部での拷問などが徐々に明るみに出て、国際的な問題となっている。
「中国政府は、『信仰の自由はある』と言っているんですが、実際には、1日5回礼拝するような信仰心が強くて、影響力がある人はどんどん強制収容所に入れられている。みんな、それを知っているから、お祈りに行くのはやめよう、スカーフを巻くのはやめようと、どんどん萎縮してしまっている」
川嶋さんは18年の1月と9月に、それぞれ1カ月ほど現地に滞在した。
「メインはカシュガルとホータンで、いままで訪れたところを撮影しました」
以前の街の様子と比較するように撮影した作品を見せてもらうと、その変わりように言葉を失った。
かつて多くの人々でにぎわっていたモスクや市場は閑散としている。入り口には物々しいゲートが設けられ、警察官に身分証明書を提示しなければ中に入れない。モスクが破壊され、駐車場になってしまった場所もある。
写真撮影を断られることが多くなり、自宅に招かれることともほとんどなくなったという。
「外国人とつながりのあった人たちは強制収容所に送られてしまった。だからもう、家には入れてくれないんです」
写真を撮っていると、警察に通報されることも増えた。
「警察署に連れて行かれて、『どこから来た?』『目的は何だ?』と、取り調べを受ける。だいたい2~3時間。長いときは6時間くらい。取り調べが終わると、車に乗せられて、その場所から強制退去させられる」
■執拗な当局の尾行
川嶋さんが前回、同自治区を訪れたのは19年夏。
「これがコロナ前に訪れた最後になりました。3週間、滞在したんですが、もう何もできなかったです。常に誰かにつけられているのが気になって、写真を撮るどころではなかった。知り合いに会っても、すごくよそよそしくされました」
当局の尾行には、相手に気づかれないように尾行するやり方と、それとは逆に、あからさまに尾行していることを相手に見せつけて威圧するやり方がある。川嶋さんの場合は後者だった。
「街によって違うんですが、例えば、ホータンでは警察官がずっとついてきた。制服は着ていませんが、無線機とかを持っているので、警察官と分かる。別の街では、一般人のような人がホテルのロビーでずーっと待機していて、ぼくが表に出ると、それと分かるように尾行してきた」
実はこのとき、川嶋さんには撮影以外に、もう1つ別の目的があった。
「在日のウイグル族の人に、『親と連絡がとれない』と言われ、『生存しているのか、故郷を見てきてほしい』と頼まれたんです」
しかし、「無理でしたね。たどり着けなかった」と、声を落とす。
「検問所がたくさんあって、ぼくがどこを移動しているか、常に把握されていた。交通機関のチケットも売ってくれない。近づくことさえできなかったです」
身近なDVなども含めて、人権侵害は人目に触れないところで深刻化する。川嶋さんに対する当局の執拗な尾行は、これまで撮り続けてきた作品が「ウイグル問題」の核心に迫ることを証明しているようだ。
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】川嶋久人写真展「失われたウイグル」
富士フイルムフォトサロン 東京 1月21日~1月27日
富士フイルムフォトサロン 大阪 2月4日~2月10日
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