戦線後方記録映画「南京」 。撮影スタッフは南京陥落の翌日、昭和12年12月14日に南京に到着し、昭和13年1月4日まで撮影。市外に避難していた南京市民が続々と居住地に戻り、日本軍が住民の再登録のために発行した「安居の証」を申請し、受け取っている。
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月7日
※「南京」 1938年 東宝文化映画部 pic.twitter.com/DtXttHVjpC
日本軍が発行した安居証の総数は16万だが、数万人はいたであろう10歳以下の子供と一部の高齢の老婆は含まれていない。南京安全区国際委員会秘書であった金陵大学の社会学教授だったスマイスは昭和13年3月の人口調査結果を22万1150人と報告しているのだが、1割から2割の未計上があるとも報告している。 pic.twitter.com/fwulI1v9fL
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月7日
「普通に考えて」という言葉が大好きな六衛府なのだが、南京陥落2週間後の元旦の風景を見ていただきたい。池上のクソ番組とは違い、演出の無い子供たちの表情がすべてだと自分は考えている。平穏な日常を取り戻した南京城内で爆竹を鳴らしても誰も咎められることは無かった。 pic.twitter.com/0bBPGSctot
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月7日
先の映像に少年が写っていましたが、陥落から19日目で子供が城内を単独行動できていたこと(虐殺が事実なら親が出しません)、鑑札をもらう人々に体格のいい青年も含まれていたこと(被虐殺の中心とされた人々)、演出に関係なくいろいろな事実が見えてきます。※映画の冒頭部に出されたテロップ pic.twitter.com/jwiAY1Fqz9
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月9日
たしかに現代において世界の歴史に悪い意味で残されそうにある。
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月9日
「この映画を我々の子孫に贈る」と書かれている。
何かを暗示しているように思えてならない。この映画は思想の左右を問わず、見ておくべき映画だと自分は考えている。
※昭和13年正月 南京城内 pic.twitter.com/SykSjo6dBU
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1962年生まれで中国四川省成都市出身、北京大学哲学科を卒業された石平さんは学校で南京大虐殺とやらを一度も学んでいないし、先祖代々南京に住んでいる南京出身のクラスメイトも知らないと言っていたと証言している。これでも中国政府の主張を信じる日本人がいること自体が情けない。 pic.twitter.com/9adxHmCG3B
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月14日
映画に出てくる南京自治委員会に関する当時の報道はこちらです。https://t.co/0hc3kicZWW
— 六衛府 (@yukin_done) 2021年11月22日
重要記録映画
— 母ポン (@ponkohaha000) 2021年9月19日
撮影スタッフは
1937年昭和12年12月14日(南京陥落の翌日)
南京に到着。
翌月(昭和13年1月)4日まで撮影
3週間南京にいたわけですね。https://t.co/M7SRqvibpz#捏造史観との戦い #歴史戦
その通りです。演出のしようの無い現地の人々の様子が見ることができます。
— 六衛府 (@yukin_done) 2021年10月17日
今、巷の案内板などに中国語、韓国語が溢れていますが、この映像を観てるとなんか納得できますね
— レキオス (@lequios_blue) 2018年10月7日
「言葉がわからないだろうから、きちんと表記しとかないと不親切だろうな」と昔から考える国民性なのです
安居証を求める中国人の列には見るから兵士のような体格のいい青年が多数含まれていますね。虐殺されているはずですが、このように生存どころか鑑札まで日本軍から受けています。
— 六衛府 (@yukin_done) 2018年10月8日
この安居証の交付数がたしか24万枚ぐらい。市街戦の前の人口が約20万人。むしろ人口が増えてる。
— 空飛びマン (@soratobiman) 2018年10月7日
福田康夫は脳みそ持ってんのか?