朝日新聞とNHKの大罪 企業側の論理に振り回され搾取される高校生たち 2021.9.5

www.dailyshincho.jp

 

2021年9月5日 デイリー新潮

目標1億円の13%しか集まらなかった。寄付者わずか1633人。


 日本高野連朝日新聞のサイトで実施していたクラウドファンディングは、最終日(8月31日)を迎えてなお目標額1億円に遠く及ばず、1300万円台にとどまった(確定金額は13,927,884円)。達成率13パーセント台。誰もが知るイベントとしては驚くほど低調な数字。これが何を意味するのか? 多角的に検証する意義は大いにあるだろう。

 寄付を募った理由を日本高野連は「一般入場者のチケット販売をやめたこと」としている。入場料収入が減る一方で、「PCR検査やベンチの消毒など感染防止対策にかかる費用は膨らんでおり、運営は極めて厳しい状況に陥っております。」と。

 だが多くのファンは、「えっ、朝日新聞が出してくれないの?」と素朴に思ったのではないか。主催は朝日新聞社と日本高野連。大会会長は朝日新聞社の社長だ。要するに高校野球は「教育の一環」と言いながら「新聞社の事業」なのだから、「足りなければ主催者が出して当たり前」と多くの人が感じても不思議ではない。お金を出す気がないなら主催は降りるべきだ、と私は思った。その責任も果たさずに高校野球を支配し続ける権利がなぜ朝日新聞社にあるのだろう?

 一方、見る側も「夏の甲子園がなくなるわけがない」と高をくくっているのかもしれない。危機感がないせいか、「大変だ、甲子園を救え!」と考え私費を投じた人は全国でたった1633人しかいなかった。

 

2年前は猛暑の危険性が問題視され、今年は長雨にたたられた。時期や実施方法など、根本的に高校野球改革を進めるべき時が来ている。会場を甲子園以外に求めることも含めて、真剣に議論した方がいい。複数の球場で開催すれば、1回戦、2回戦はもっと短い期間で実施できる。予選リーグ方式も採用できる。「永久関西大会」でなく、全国に会場を移すことで各地の野球振興・活性化にもつながるだろう。関西有利の偏りも是正される。

 高校野球は春と夏の甲子園を頂点に、甲子園が唯一最大の目標、すべては甲子園を価値基準に運営され続けてきた。約13万5000人(今年5月末の時点で13万4282人。7年連続の減少)の高校球児のうち、夏の甲子園の舞台に立てるのは900人に満たない(ベンチ入り人数で882人)。わずか0.66%の「夢」を追う自己陶酔を強いられ、他の多くを犠牲にする高校生活を「当然だ」とされている。

 私は、「夏の甲子園」と「春のセンバツ」こそが高校野球を不健全にしている元凶、諸悪の根源だと感じているが、これまで世間の大勢はそれを認めてはくれなかった。高校球児ひとりひとりの自由闊達な青春より、高校野球を見て楽しみたい大人たちの欲求が常に優先されてきた。

「諸悪の根源」と言った理由は書ききれないほどあるが、ひとつだけ書くと、「甲子園を絶対視することで、高野連も、高校側も、地方の役員も監督も選手も、思考停止になっている」、それが最大の弊害だ。モノを言わない、考えない。現状維持が高校野球の不文律になっている。そんな環境で、創造力豊かな若者が育つだろうか。

「練習は週2、3日がちょうどいい」「音楽活動や他の趣味にも時間を使いたい」「夏休みには自由に旅をしてみたい」、そんな望みは、甲子園を目指すと決めたらほとんど許されない。「教育の一環」と言いながら、野球一途を善とし、「たとえ出られなくても甲子園を目指すことに意義がある」という「思い込み」を盾に選手の心身を縛り続けている。

 考えるべきことは山ほどある。

「100人もいる部員全員を試合に出す方法はないか?」

 例えばそんな問いかけを一度でもしてきただろうか? 何十年もそんなことは考えず、「補欠は補欠、仕方がない」といった態度を教育者が取り続け、それを世間も咎めない。

「夏の大会は負けたら終わり。ってことは、全国の半分の球児がたった1試合で高校球界から追われるんでしょ? もったいない」などと、素朴につぶやく指導者も少ない。「負けたら終わり、それがいいんだ」とされている。大半の球児がたった1試合で競技としての野球を離れる。平気で競技人口を失う不合理や理不尽を真剣に問うこともして来なかった。

 一部の高校では、「地域の小学生たちに野球の面白さを伝える方法はないか」といった活動を始めている。素晴らしい芽生えだと思う。本当はそういう動きを加速させる支援を日本高野連朝日新聞はすべきだったのではないか。

 例えば、「希望する高校球児をアメリカに交換留学生として送り、アメリカの野球生活を経験する機会を提供する」「アメリカの野球指導者を招聘し、日本の高校で指導してもらう」「キャッチボールや草野球のできる公園づくりを高野連が資金を作って進め、野球に親しむ少年少女の育成につなげる」など、アイデアはいくらでも出てくるが、高校球界からはこのような提案が出てきたことはほとんどない。

 

「甲子園の価値」は朝日新聞NHKが発信し続ける「フェイクニュース


 高校野球は「甲子園が聖地だ」という幻想に支配されている。それは侵してはならない絶対的な「伝統」と信じられているが、本当はおかしなことがたくさんある。それが表面化しなかったのは、春夏の甲子園を主催する新聞社と、放送するNHKとが、報道機関でありながら「甲子園の魅力」を伝え守ることばかりに精励し、つまり美辞麗句で飾り、球児たちの日常的な悩みや問題点を積極的に話題にしてこなかったからだ。日本高野連も現場の指導者たちも様々な現実を認識しながらも、すべては甲子園の価値を優先する思考で無視・放置し続けてきた。

 夏の甲子園をめぐる大々的な報道は、もしや「壮大なフェイクニュースではないか?」と考えてみた方がいい。新聞も中継も、現状維持、汗と涙と感動路線でしか高校野球を報じない。

 甲子園には遠く及ばなかった高校球児たちが、どんな悩みを抱え、どんな葛藤と向き合っているのかということや、人生の進路や目標を見つけられずに悶々としている現状には光を当てない。

 国民がこぞって高校生の野球に熱狂する日本社会は、果たして健全と言えるだろうか?

 高校年代のスター選手の大半が、プロ野球では活躍できないことは誰もが知っている。それなのに、ドラフト会議をイベント化して騒ぎ立ててもいる。甲子園で活躍した選手の多くがプロで活躍できないのは「使い過ぎで壊れた」のでなく、「成長が早かっただけ」「野球という競技は身体ができてからが本当の勝負」「だから高校時代の成績を過大に評価してはいけない」という冷静な現実を世間に伝えることにもメディアは消極的だ。それが「甲子園の魅力を損なうことにつながる」という無意識の配慮のためだとしたら、「甲子園の価値」はやはりフェイクニュースでしかない。

 今夏の東京五輪で金メダルを獲った侍ジャパンを見ても、多くは20歳を過ぎて素質を開花させた選手たちだ。抑えで活躍した栗林良吏(広島)は高校、大学ではプロの眼鏡に適わず、社会人を経てようやくプロ野球に入れた「遅咲き」だ。MVP級の活躍だったと賞賛された捕手の甲斐拓也は育成ドラフト6位でプロに入った。最初の背番号は130だった。五輪には出場しなかったが今季の新人の中で際立った活躍を見せている阪神・佐藤輝明の高校時代をどれほどの日本人が知っていたか? 佐藤の高校時代、日本中を沸かせていたのは一歳下の清宮幸太郎(現・日本ハム)だった。小学生時代から身長が180センチメートル以上あった清宮は、同年代では成長の早い選手だった。成長が早いことと将来の活躍はイコールではない。それなのに、「甲子園のスターはプロ野球でもスター候補」だという幻想で話題を作り続けている。冷静に考えたら、「高校野球をそれほどスター化し、国民がこぞって見るような娯楽の対象にしてはいけない」というのが賢明な結論ではないだろうか。だが、そんな冷静さを取り戻すことをメディアが阻害している。彼らにとって甲子園は貴重な商材だから。

 親の転勤やイジメなど明確な理由がなければ、転校すると「1年間出場停止」になる。このような規則があるのは、高校スポーツでは野球だけだろう。おかしなルールではないか?

 こうした理不尽もメディアはスルーし続けている。

 高校野球は、もっと高校生主体の活動に生まれ変わった方がいい。「夏の甲子園」「春のセンバツ」をやめて、本気で考え直す時期だと、私は真剣に提案する。

 

デイリー新潮取材班編集

 

**********************************************************************************************