1万四千年前の遺跡もある北海道縄文人、その縄文人とニブヒなどのオホーツク沿岸居住民との遺伝子交流でアイヌ人が生まれた。(琉球人も同じパターン)
— 🇯🇵barikata 🗣️ (@barihimatai) 2021年8月9日
なので日本は縄文人をルーツとする単民族国家。複数民族としようとするのは分断、侵略です。https://t.co/QrPbmJJBkL
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2012/11/02
やはりアイヌ人と琉球人の方が本土人よりも遺伝的に近かった - 東大など
総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。
成果は、総合研究大 生命科学研究科 遺伝学専攻教授を兼任する国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門の斎藤成也教授、東大大学院 医学系研究科 人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東大大学院 理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、11月1日付けで英国学術誌「Journal of Human Genetics」オンライン版に掲載された。
日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類学的証拠がある。現在は北から順にアイヌ人、本土人、琉球人という3人類集団が分布している状況だ。
これらの人々の起源と成立については、以前からさまざまな説があったが、東京帝国大学医学部の教官などを務めたドイツ人Erwin von Baelz氏(1849-1913)のアイヌ・沖縄同系説(1911年にドイツの雑誌に発表)に端を発し、鳥居龍蔵氏(1870-1953)や金関丈夫氏(1897-1983)らが提唱した混血説の流れをくむ「二重構造モデル」が現在の定説となっている。
これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは、東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫だという。その後、縄文時代から弥生時代に変遷するころに、北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。
彼らは極端な寒冷地に住んでいたために、寒冷適応を経て、顔などの形態が縄文人とは異なっている。この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は、北部九州に始まって、本州の日本海沿岸、近畿地方に移住を重ね、先住民である縄文人の子孫と混血を繰り返した。
ところが、北海道にいた縄文人の子孫集団は、この渡来人との混血をほとんど経ず、やがてアイヌ人集団につながっていったのである。沖縄を中心とする南西諸島の集団も、本土から多くの移住があったために、北海道ほど明瞭ではないが、それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。
これまでの遺伝学的研究では、アイヌ人と沖縄人の近縁性を支持する結果はいくつか得られており、そうした話をご存じの方も多いことだろう。しかし、決定的なものではなかったのである。
そこで今回、徳永教授の研究室で使用している、ヒトゲノム中のSNPを示す100万塩基サイトを一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人と琉球人のDNAを新たに調べることにしたというわけだ。
( 以下略 )
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