こたママさん すばらしいお話の紹介 ありがとうございます 2021.7.26

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(2) こたママ kotamamaさんはTwitterを使っています 「1999年11月22日 航空自衛隊練習機が入間川河川敷に墜落。 パイロット2名が殉職されました。 地元高校校長が学校通信に寄稿された文章です。 知らない方にもきちんと拡散したいと思いました。 (Yahooブログ終了の為再掲) #拡散希望 『人間を矮小化してはならない』 https://t.co/Sjjs1t8Jef https://t.co/yVboM1ypTB」 / Twitter

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人間を矮小化してはならない - ねずさんの学ぼう日本 (nezu3344.com)

2009/09/27 日本人の心

今日は、日本の心をつたえる会のメーリングリストで、「鷲」様からいただいた投稿をご紹介します。

題名は、

「人間を矮小化してはならない」

というものです。

ねずきちは、この文を読んで、おもわず目頭が熱くなりました。

MLに参加されていない方も、是非、ご一読していただきたく、転載します。

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こんにちは、「鷲」です。

自衛官として思い入れのある文章なので転載させていただきます。

埼玉県の私立狭山ヶ丘高校の校長先生が、校内紙に掲載された文章ですが、転載については学校事務局に電話で許可をいただいております。

10年ほど前になりますが、長男の高校進学を控えて、学校説明会に付き添ったおり、この小川義男校長先生のお話を拝聴する機会を得ました。

本当に素晴らしい教育者です!

では、以下に掲載します。
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先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の訓練用ジェット機が墜落しました。

たまたま私は、寺田先生と共に、あの近くを走っていましたので、立ち寄ることにしました。

すでに付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。

見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり広範囲にわたって切断されています。

高圧線は、あの太くて丈夫な電線ですから、切れるときはぷつんと切れそうなものですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに切れています。
何ヶ所にもわたって、長くぼさぼさになった高圧線が鉄塔からぶら下がっている様は、まさに鬼気迫るものがありました。

聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。

二佐と三佐と言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。

二人とも脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの状態で地面に激突し命を失った模様です。


以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後航空コースを選ぶと言うのを聞いて、私がとめたことがあります。

「あんな危ないものに乗るな」と。

彼の答えはこうでした。

「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。


その安全な戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはならなかったのでしょうか。


それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。


おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは確実に自らの命を救うことができたでしょう。

47歳と48歳と言いますから、家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。

それなのに、何故彼らはあえて死をえらんだのでしょうか。

 

実は、あの墜落現場である入間川の河川敷は、その近くに家屋や学校が密集している場所なのです。

柏原の高級住宅地は、手を伸ばせば届くような近距離ですし、柏原小、中学校、西武文理高等学校もすぐそばです。


百メートル上空で脱出すれば、彼らは確実に助かったでしょうが、その場合残された機体が民家や学校に激突する危険がありました。

彼らは、助からないことを覚悟した上で、高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近しました。

そうして、他人に被害が及ばないことが確実になった段階で、万一の可能性に賭けて脱出装置を作動させたのです。

 

死の瞬間、彼らの脳裏をよぎったものは、家族の顔でしょうか。
それとも民家や学校を巻き添えにせずに済んだと言う安堵感でしょうか。


他人の命と自分の命の二者択一を迫られたとき、迷わず他人を選ぶ、この犠牲的精神のなんと崇高なことでしょう。


皆さんはどうですか。

このような英雄的死を選ぶことができますか。


私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います。


私も必ずそうするでしょう。

実は、人間は、神の手によって、そのように作られているのです。

人間はすべてエゴイストであるというふうに、人間を矮小化(ワイショウカ)、つまり実存以上に小さく、卑しいものに貶(オトシメ)めようとする文化が今日専ら(モッパラ)です。

しかし、そうではありません。

人間は本来、気高く偉大なものなのです。


火災の際の消防士の動きを見てご覧なさい。
逃げ遅れている人があると知れば、彼らは自らの危険を忘れて猛火の中に飛び込んでいくではありませんか。

母は我が子の為に、父は家族の為に命を投げ出して戦います。

これが人間の本当の姿なのです。


その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。


あのジェット機は、西武文理高等学校の上を飛んで河川敷に飛び込んでいったと、佐藤校長はパイロットの犠牲的精神に感動しつつ語っておられました。


しかし、新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句(イチゴンハンク)のほめ言葉をも発しておりません。

彼らは、ただもう自衛隊が、「また、事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。

 

防衛庁長官の言動も我慢がなりません。

彼は、事故を陳謝することのみに終始していました。

その言葉には、死者に対するいたわりの心が少しもありません。


防衛庁の責任者が陳謝することは、それはもう当然です。
国民に対してばかりか、大切な隊員の命をも失ったのですから。

しかし、陳謝の折りに、大臣はせめて一言、「以上の通り大変申し訳ないが、隊員が、国民の生命、財産を守るため、自らの命を犠牲にしたことは分かってやって頂きたい。
自衛隊に反発を抱かれる方もあるかも知れないが、私に取り彼らは可愛い部下なので、このことを付け加えさせてもらいたい。」くらいのことが言えなかったのでしょうか。


隊員は命を捨てて国民を守っているのに、自らの政治生命ばかり大切にする最近の政治家の精神的貧しさがここには集中的に表れています。
まことに残念なことであると思います。


このような政治家、マスメディアが、人間の矮小化をさらに加速し、英雄なき国家、エゴイストのひしめく国家を作り出しているのです。


人は、他人のために尽くすときに最大の生き甲斐を感ずる生き物です。

他人のために生きることは、各人にとり、自己実現にほかならないのです。

国家や社会に取り、有用な人物になるために皆さんは学んでいます。

そのような人材を育てたいと思うからこそ、私も全力を尽くしているのです。

受験勉強で、精神的に参ることもあるでしょうが、これは自分のためではなく、公(オオヤケ)のためである、そう思ったとき、また新しいエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。

受験勉強に燃える三年生に、連帯の握手を!

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私がもっとも感動したのは、「私は、おそらく皆さんも同じコースを選ぶと思います」の部分です。

こんな校長先生が居られるなら、まだまだ日本も希望が持てますね。

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以上が、鷲さんの投稿です。

「人間は本来、気高く偉大なもの」

「母は我が子の為に、父は家族の為に命を投げ出して戦います。これが人間の本当の姿なのです。その愛の対象を、家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです。」

野生の動物だって、母親は我が子を守るために、自分よりはるかに強大な敵に、牙を剥いて立ち向かいます。

犬は、飼い主が襲われそうになると、自分よりはるかに体のおおきな人間や動物に向かって、命がけで戦いを挑みます。飼い主を「友」あるいは「親」とすれば、犬は、その友のために命を賭けて戦います。

昆虫の蜂は、巣という彼らにとっての国家を守るために、女王蜂や子を守って、働き蜂が集団で敵に戦いを挑みます。最近の研究では、蜂は、その飛び方のコースが、蜂同士の言語(またはコミュニケーション道具)となっていることがわかってきました。
一回でも敵を刺した蜂は死にます。それでも蜂たちは、敵と戦うのです。

どこの国に行っても、民族のために戦った先人は、英雄です。
国民をあげて、国家をあげて彼らを称え、彼らの勇気を学びます。


野生の動物だって、犬だって、昆虫だって、どこの国だって、守るべきもののために、いざというときは戦うのです。


そうして戦い、散っていった英霊を、平気で恥ずかしめ、貶め、彼らのおかげでいまの生を受けていながらそれに対する感謝の思いすらない。

そのような国は、おそらく人類の歴史始まって以来、あるいは地上の生命が始まって以来、おそらく現代日本くらいなものです。

上の文章で紹介されたお二人に関し、鷲さんが、続けて文章を書いておられます。

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「ベテランのお二人は、最低安全高度については熟知されていた筈ですから、二人とも『自分が助かるため』に脱出装置を使われたとは思えないのですが・・・・」

自衛隊パイロットへのインタビュー記事でしたか、こんな記述を読んだことがあります。

もし住宅密集地の上空でエマージェンシーに遭遇したら、どうするのかとの質問に対するパイロット氏の答えはこうでした。

『被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります』

と言い切った上で、

『ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。
そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから』

とのことでした。
 

産経新聞2000.8.3朝刊から「自衛隊半世紀」と題する特集記事が始まっており、プロローグとしてこの事故が取り上げられています。その冒頭で、

“なぜ、航空自衛隊パイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか。”
と、記しています。

パイロットはベイル・アウトを通報した後、13秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。」

この13秒は、まさに上記の

『被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります』

に合致します。
そして、

『ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。
そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから』

を、完璧に実現しています。

 

もう20年以上前になるでしょうか??

浜松で航空自衛隊クロバットチームのブルーインパルスの5番機が、市街地に墜落する事故を起こしたことがあります。

駐車場に墜落して、幸い市民への人的被害は避けられたのですが、当時のメディアで「もしも人家に墜落したら。。。。云々」と報道されておりました。

しかし、私は信じています。


あの墜落地点を上空から観察したら!!!


墜落機を操縦していたのは一般大学出身の高嶋1等空尉でした。

引き起こし高度が不足して、地上への激突が避けられないと判断した彼の頭にあったのは、


「空き地だ!空き地!!!」


それしか無かったはずです!!!!


入間で墜落した「T-33」と違い、高嶋1尉が操縦していた「T-2」には、十分安全に脱出できる射出座席が装備されていました。


人家を避けることができたと判断した瞬間、おそらく彼は

「整備員よすまん!時間がないんだ」

と、心でさけんだのではないでしょうか。

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この文に、 事件を目撃したhigurashiさんがコメントをつけてくださいました。

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浜松のブルーインパルスは当日、会場で見ていました。

一緒にいた幼い弟がぐずったので一瞬目を離したときに、ドーンという凄い音と、周囲の歓声が悲鳴に変わったのでとても怖かった。

当時はまだ小学生で、状況が飲み込めませんでしたが、上から5機のブルーインパルスが降下してきて百合のように下で開いて上昇する演技の途中で、白(だったと思う)い色の煙を引いていた1機だけがそのまま落ちてしまった。

当日の会場はブルーインパルスを見るお客さんが一杯でした。

周囲は住宅地で、ホンダの工場や、自動車のディーラーなどもあり、一歩間違えば大惨事でした。

何が起きたのか分からない状態でおろおろして家族を探し、場内アナウンスに従って会場を後にしました。

現場にいただけに、

「よかった、こっちに来てたら家族みんな死んでたもんね。」

とほっとしたのですが、偶然空き地に落ちたかのように報道されたため、それ以上のことは考えもしませんでした。

高嶋1尉に心から感謝します。

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